うえやま建設 植山ノブオが建築や日々の出逢いを語ります

呉 その2

初日は朝4時出発の「海上自衛隊第1術科学校」に12時半着。ずっと雨。走りにくかったけど、無事到着。昼飯は海上自衛隊第1術科学校近くのうどん屋。地元の人たちでにぎわっていた―。ランチ750円!

今どき、この価格は破格値。

海上自衛隊第1術科学校見学が13時30分から15時。土産物を買って呉の港を散策して、宿に着いたのが18時。そこからぶらっと居酒屋行ったわけです。

2日目は目的地の大和ミュージアムへ。

大和広場と言う埠頭。戦艦大和の左舷が埠頭に表現されていてすごいです。

甲板デッキは木製で奥にある丸くタイルが貼られた部分は主砲の位置。

玄関の方に向かうと、戦艦陸奥の舵、スクリュー、主砲が展示。

戦艦陸奥は戦中に呉港内で原因不明の爆発が沈没。

今も本体は沈んだままらしいですが、部品は取り外していろんなところで展示されているらしい。

よくもまぁこんな大きなものを当時の海軍はつくったものです。

黄色い鋼材は真鍮だと思う。錆びにくいから真鍮製なのかな?
これがドカンと玄関横にある。危険思想と言われかねない展示だけど、呉では日常の景色なんだろうな。

大和ミュージアム内の目的は「第31回企画展 日本海軍と航空母艦」を見るためです。3/末で企画展が終わると知って慌てて年明けに計画したのですが、何と好評で6/末まで会期延長されていました(笑)

空母赤城の1/200模型。凄い。

空母飛龍の進水記念メダル。

空母翔鶴の進水記念品。

当時の日本はお洒落です。デザインがとてもいい。和のテイストがふんだんにあり、かつシンプル。

現物を見れたことは嬉しかったなー。

子供の頃、小遣いをもらったら必ずプラモデルを買っていましたが、大半は航空母艦。
赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴、大鳳、信濃、龍驤、祥鳳等々・・・

展示の中心には1/10スケールの戦艦大和の模型がドカンと。

よくもまぁこんなものを作ったものです。

自衛隊基地でも見た海龍。

零戦。

この施設の主旨がホームページにある。

呉市は、明治22年に呉鎮守府、明治36年には呉海軍工廠が設置され、戦前においては、戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠のまちとして栄え、また、戦後においては、戦前から培われてきた技術が新しい技術と結びつき、世界最大のタンカーを数多く建造するなど、我が国が戦後約10年ほどで世界一の造船国へ発展する一翼を担い、有数の臨海工業都市として発展し、地域の産業発展のみならず、日本の近代化に大きく貢献してきました。

 呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)は、明治以降の日本の近代化の歴史そのものである「呉の歴史」と、その近代化の礎となった造船、製鋼を始めとした各種の「科学技術」を、先人の努力や当時の生活・文化に触れながら紹介し、我が国の歴史と平和の大切さを深く認識していただくとともに、科学技術創造立国を目指す日本の将来を担う子ども達に科学技術のすばらしさを理解していただき、未来に夢と希望を抱いていただくことのできる「呉らしい博物館」とすることにより、地域の教育、文化及び観光等に大きく寄与することを目的とします。

大和ミュージアムの基本方針

1 歴史的見地

造船技術等を通し、呉の歴史を後世に伝えます。

2 学術的見地

呉が過去から深くかかわってきた科学技術を 新しい時代に活かします。

3 教育的見地

市民が生涯学習を実践していくための環境整備を行います。
平和の大切さを未来に伝えます。

4 まちづくり的見地

周辺施設と調和を図り、人々が集う施設とします。

危険思想と言われかねないような施設ですが、靖国神社の遊就館のような違和感はありませんでした。

主旨と基本方針通りの展示内容で良いと思います。


遊就館は5分で出てきました。
怖い思想が全面に出ているようで怖かった。二度と行きたくない。

靖国参拝でアジア諸国が怒るのも無理はないと感じたもの。

戦争はいけません。

・日中戦争に行った祖父からシナ事変の話を聞いた。
・母が涙ながらに一回だけ話してくれた名古屋大空襲の話は忘れられない

・お客様から特攻の話を聞いて寒気がした

・原爆資料館は見るに堪えない辛さだった

高度来長期生まれの私ですが、多くの人から戦争の話は聞いています。これは貴重な経験だと今になって思います。

科学技術創造立国を目指すと書いてある主旨には大いに賛同します。

過去につくられた素晴らしい技術は遺産だと思う。日本はここに全てを投入して国を成り立たせるのが最善ではないかと思います。建築でもまともな職人がいなくなってしまっている現状を考えると暗澹たる気持ちになります。
技術で国を立てる、そういう日本であって欲しいです。

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