うえやま建設 植山ノブオが建築や日々の出逢いを語ります

栗の土台

この時期の城址探訪は気を付けないといけないことがあります。
マムシ。
山城は特に注意。
蛇はよく見るのですが、マムシはいけません。

ということで今回は山城ではなく、平山城へ。

京は福知山。遠かったぁ・・・

当時と姿かたちは変わっているとはいえ、堀が何とものどかで。左側に重機が見えますが、これがガリガリと大きな音で情緒掻き消しですわ(笑)

見事な石垣。江戸期の打ち込み接ぎではなく、野面積み。戦国期の石垣です。

コンクリート造で再建された天守。何とこの日休館でした・・・天守からの眺めがご馳走なのに、調査不足。この1年で3回同じことがありましたわ。ちょっとやばいんじゃない???って言われそう。

石垣に使われた石像の数々。墓石かな?これが至る所に。
福知山城は明智光秀による普請らしいですが、この地域は石がふんだんになく、かき集めてつくった痕跡です。明智光秀の丹波攻略の拠点は丹波亀山城。その次に拠点となったのがここ。

移築された門番所。4枚目の写真もそうですが、石の上に土台が載っています。

そして軒が大きくせり出し、雨が当たりにくい。だから腐っていない。

この土台、栗でした。製材技術がまだない時代の生々しい栗の土台。これを見るだけでも価値がある。

栗の土台は昔はよくありました。曲がりくねった木なのに、直通のものを使って土台にする。贅沢。
天守は休館だったけど、このような数百年経過した木造建築に学ばないと。
何でもかんでも人工的な力でつくるのではなく、自然と共生する。
そういう木造建築の文化がこの国にはある。
時代遅れと言われそうですが、断固貫いていくぞ!

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