少し前ですが、伊賀上野城を探訪。
朝5時出発→13時30分に西区の現場チェックに間に合うようにトンボ返りしてきました。現地にいた時間は3時間ほど。よくもまぁこんなことをしているものだと我ながら呆れますが・・・
隙間時間を見付けて自分の時間をつくる。これはこれで良い切り替えになるのでしばしばやっとりますぞ。

靄に煙る大石垣。これが見どころ。早朝だからこその景色。

ここにも石垣がそびえたつ。

天守。木造で復元された天守。大中の天守閣がツインタワーのように林立。美しい。

新しく復元されただけあってまだ梁・桁は飴色。
曲がりのある梁は太鼓梁と言って、丸太の両端を製材したもの。これはこれで美しい。階上の床板を支える根太は桧5寸角ほどの立派なもの。

手摺につけられた釘隠し。下に小柱が見えますが、それを脳天から釘打ちしているので隠している金物です。たくさんの人が触っているのでいい色になっているね。

床の釘。和釘です。替折釘(かいおれくぎ)と言われるもの。和釘、美しいですね。

面皮柱。杉。丸太の一部を削ってこのような仕上げにした柱を面皮柱と言います。

長押の釘隠し。模様が日本的で美しい。止めている釘はおそらく真鍮釘。色が変わって同色になっているね。

折り上げ格天井。組子が分厚いのでごつく思いますが、城だからね。数寄屋造りの座敷ではもっとシャープな組子になります。

天守の最上階から雲海を見る。早朝探訪の特権。

手摺の小柱がクリ棒になってて見事。

そして城郭周辺を散策。すると・・・

こんな変わった形をした塔が・・・こんな屋根、私にはつくれません(笑)

礎石と土台。礎石の上に土台を置いた建築。基礎なし。屋根が延びているので雨に当たらず劣化無し。

礎石と柱。木が痩せて石の円形とずれていますが、石は吸水率が低いので木を接地させても傷みにくいという先人の知恵。

城郭周辺の散策を終え、昼ご飯にと町中を歩いていたら・・・
これ大昔の屋根の作りです。

防水紙と言われるルーフィングがない時代のつくりかた。
野地板はこのように隙間を空けて貼るのが私の時代でも当たり前でした。それは瓦の下の土をめり込ませるためです。

土は発酵しているので、粘土のような粘り気があります。それを瓦を載せる前に置いて、瓦でぐっと押さえて固定するとこのように隙間から土が出てくるので、固まったとき土が滑り落ちないという理屈です。
暴風雨があると瓦の下に水が潜ったりしますが、この土が水を吸い、漏水を防ぎます。
そして乾燥すると元通り。
昔の人たちはすごいです。
こういう先人の知恵がたくさんあるのが木造建築なのですが、最近の建築行政はこのような伝統を全て違法として認めない施策ばかりになっています。
増築計画しても、既存の建物を現行の新耐震基準と新断熱基準にしろとかになってしまいます。離れになっていても母屋をそのようにしろとか言います。無理がある。建替えろという命令になります。全ては大手メーカー、ディベロッパーの利が優先になっており、ものを大切にする、歴史・伝統を繋いでいくという考えは全くないです。
古い建物は壊せ、とにかく新しい基準でつくれというのは長年住んできた愛着のある我が家だけど壊してくれ、そして古い技術などはもう要らないという行政の方向性。官僚が国を殺めるとはよく言ったもので、そんな方向性に突っ走っている建築行政です。官僚を諫めるはずの国会議員も目先にとらわれて国の歴史・伝統を鑑みない。
夢のない業界になりつつある今ですが、踏ん張って声を上げていきたいと思っています。
