天白区で工務店としてはや24年が経とうしています。その前は南区の実家の前の小さな事務所。
大工一貫でやってきた私が法人組織の工務店を始めたのは、師匠のおかげ。
師匠は埼玉大宮の方。出逢いが目を覚まさせてくれました。
その方も元は大工の棟梁。初めて伺った時に建築中の建物を見せていだたきましたが、かっこよかった。
地元の材を使い、先人たちが培った適材適所、技を徹底的に使いこみ、そしてワクワクする設計。
それが平成2年の出逢い。法人化したのも平成2年。
その前の私は大工バリバリで親方が本当に怖かったです。
この時期は急激に寒くなるので風邪を引きやすくなりますが、「風邪でしんどい」と言ったら、倍以上仕事させられる。『風邪をひく奴は気合が入ってないからだ!』と親方は言う。
そんなこと言ったって!と誰もが思うでしょうが、ルールは親方が決めるので一切反撃できず。
反撃したら、ノミが飛んできますぞ。大工にとって大切な道具の鑿。
それを投げつけるんだから怖いったらありません。
投げて鑿の刃先が欠けると「お前のせいだ!砥げ!」です、笑。
木や石を削って穴や溝を掘るのに使う、刃と柄から成る道具を鑿と言います。
自然素材を加工して使うもの。
木材なら穴を掘る、面を取る、木の表面をさらえる、継手・仕口を加工する時に使います。
刃物がきれないと木はザラザラになり、精度の高い仕事はできない。
だから絶えず刃を砥ぐ。
寒い時期の刃物砥ぎは地獄。
吹きさらしのところで砥石に向かい、刃を出すので始めた頃は指先から流血していたものです。
それを見た親方は「血を出す職人にはろくな奴がおらん」と言う。
毎日こんなこと言われていたら、心が萎えてきますよねぇ・・・
耐えるばかりの3年間でしたが、その耐えたことで反発力が半端なく生まれて、早く親方のように一軒作りたいと
必死になれました。
4年目に一棟ゼロから全てやらせてもらいましたが、それは恐ろしい3年間があったから。
そして師匠との出逢いで大工から工務店の大将に。
人生は出逢いです。
今、会社にいる社員も出逢いです。
大切にしたいです。